人間が見る「環世界」とマダニが見る「環世界」は全く違う世界










「事実」というものが何か絶対的に頑として存在する固形物の様なものだと思われている方がおられるが、「事実」というのもひとつの 「環世界」の中のひとつの「ことがら」にすぎず、100人、ヒトがいれば100通りの 「環世界」 が存在し100種類の「事実」があるということは記憶に留めておいていいと思います。

すなわち、マダニにはマダニにしか見えていない「環世界」があり、売国奴安倍晋三には売国奴安倍晋三しか見えない「環世界」がある。安倍信者Aさんには安倍信者Aさんしか見えない「環世界」がある。

しかも、安倍信者Aさんと安倍信者Bさん。アンチ安倍信者Cさんとアンチ安倍信者Dさん。それぞれ違う 「環世界」に生きている。 

おそらく人間はその共通部分を数学的に抽象化し、その抽象化した部分をもって、「事実」と呼んでいるのだと思いますが、問題はその「事実」なるものが、存在するという話は極めて危うい土台に乗っかった危うい話ではないかということです。  

それを具体的に表す現象として、以下の記事にあるように、それぞれ人間の脳が持つ記憶というものも絶対的に頑として存在する固形物の様なものではなく、 非常に曖昧模糊とした不確実なホログラフィーのようなものだということも理解しておく必要があると思います。

 














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